2006年 05月 27日 ( 1 )

 

にっくき五月病

はい、どうも。

最近マビノギにはまりすぎて更新を綺麗さっぱり忘れていたゆーたです。

今、五月病にどっぷり浸かっています。

だるい。自由奔放に振舞いたい。あまり口を聞きたがらない。

前からある症状とか言うのはなしです。

なんだか・・・とても・・・いや、なんでもありません。

自分の好きなことばかり出来たらどんなに幸せだろうと考えてしまうんです。

最近(というかずっと前から)本を読んでいるんですが、伊坂幸太郎の「ラッシュライフ」という本でこんな言葉を見つけました。

プラナリアという水中の生物の実験の話をしていて、水のある場所にライトを当てると、それを学習し、水を求めて移動するようになるが、そのうちプラナリアがまったく反応をしなくなり、とうとうライトを当てられても水も求めずに死んでしまったという話で、「飽きたんじゃないか」と黒澤(という人物が)いう。



「同じ繰り返しに飽きたんだ。その証拠に容器の内側の材質を変えたり、状況を変えるとまた学習を続けるらしい。とにかくだ、この原始的な動物ですら、同じことの繰り返しよりも自殺することの方を選ぶ」



似てるなあ、と思いました。俺と似てるなあって。

人生まだまだとか言ってるけど、もうすぐ18年目の人生です。

人によっては「そんな年齢で馬鹿なこと言うんじゃない」とか言うでしょうが、今は中学生だって自殺する時代です。

云十年生きているわけではありません。が、心の悩みは、きっと青少年には重すぎるのです。

些細なことから、本当に重いことまで、経験の少ない青少年にとって、「悩む」という行為は荷が重過ぎます。

でも、と、そこで考えてしまうんです。

でも、悩み、苦しみ、乗り越えるからこそ、成長できるんじゃないかとも考えるんです。

多分、俺も今その絶頂だと思います。

そして、乗り越えなければいけません。

分かっているくせにできないなんて、ひねくれた話です。

あ、そういえば伊坂幸太郎はこんなことも言っていました。



「人間は考えることをしない。感じて終わりだ。」


確かに考えていないのでしょうね。苦笑

だから同じ失敗を何度も繰り返す。

そのうち繰り返しに飽きる。

飽きたら何もしたくない。

したくないから死ぬ。



死にはしませんが、劇的な変化が日常生活には欠けています。

だって、「日常」生活ですもの。

常に、ですから、変化なんて無いはずです。

人はこんな時、どうやって納得していると思いますか?

「人生なんてそんなものだ」と言って納得するんです。

俺は、人生なんて、標識も何も無い、海みたいなもので、俺たちは魚とか鯨にでもつかまってないと人生をろくに送れないと思うんです。

それなのに、人生なんてそんなものだ。だって。笑

魚につかまっているだけのくせにそんなことを言うんですよ?

人生のプロフェッショナルなんて居るんですか?って。笑

みんながみんなアマチュアだと思います。

人生の何が分かってそんなことを言うのか、理解できませんよね?




と、まあ、ほとんど伊坂幸太郎のはなしを引用(というか引っ張った)わけですが。笑

本当に納得しました。

答えが一つではないもの分かっているので、もっと他の作家の本も読んで、考えを深めたいと思います。

じゃあ今日はこの辺で!!!バイバイ

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  by yu-ta_elephant | 2006-05-27 09:17 | 日記

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